豊前国分寺の三重塔の周りには多くの石仏が並んでいたのですが、その多くが三重塔の方向を向いていて、復刻された三重塔をみんなで見守っているような、そんな感じがしましたね。😌
というのも、前回のフォトブログで記しましたが、この豊前国分寺は三重塔も含めて一度焼失しており、その原因は戦火によるものだったと言われています。🔥🔥
時は天正、まさに群雄割拠の戦国時代の真っただ中、九州でも各地で争いごとが頻発しておりました。
その中で肥前、肥後、筑前を支配していたのが大友氏であり、その21代当主である大友義鎮(大友宗麟)の兵火によって、豊前国分寺の伽藍は全て焼失したとされています。
どのような戦いによる兵火だったのか、その詳細は不明なのですが、この時期大友氏は内輪揉めや内乱が勃発して衰退しており、更に龍造寺氏を叩いた島津氏が一気に勢力を拡大したことにより、大友氏の領内に攻め込んでいた時期でありました。
その際大友氏は島津氏に追いやられ九州を北上しており、その際の兵火だったのではないかと私は予想しております。🤔(あくまで個人の見解です)
理由はどうであれ焼失してしまった豊前国分寺ですが、その復興の目途が経ったのが、そんな戦乱が徳川家によって平定された時代、江戸時代のことでありました。
ここまで長くなりましたので、続きはまた次回のフォトブログで記していこうと思います。📓
長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!🙇
撮影地
使用機材
Camera: OM-5【OM SYSTEM】
Lens: LEICA DG SUMMILUX 9mm F1.7 ASPH. H-X09【Panasonic】
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