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PhotoBlog:80 高炉下

Photo No.80 高炉下/撮影地 福岡県 北九州市 八幡東区

東田第一高炉の遠景を撮影した後、もっと高炉を近くで見てみたいなと思いまして、高炉前の歩道橋を渡った先にある一角が最も高炉内の様子を外から眺められるスポットとなっておりましたので、こちらの写真はそのスポットから撮影した写真になります!📸✨

数年前までは東田第一高炉は史跡広場として一般公開がされており、鋳床や転炉など、東田第一高炉が高炉として稼働していた当時の設備を間近で見ることができたのですが、近年設備の劣化に伴う崩落の危険性が高まったことにより、それ以降、史跡広場内部は立ち入り禁止となっております。

現在は老朽化の調査が進められており、北九州市は保存の方向で検討しているそうで、稼働していた高炉が史跡として保存されるというのは日本国内でも稀なことなのだそうなので、製鉄の街八幡のシンボルと北九州の製鉄文化の継承として、市民の一人と致しましては是非とも後世に残して頂きたいものですね😌

さて、それでは前回の続きとなりますが、1901年(明治34年)にドイツの技術を取り入れて稼働を開始した東田第一高炉でありましたが、しかし鉄鉱石の性質がドイツと日本とでは異なり上手く銑鉄が行えず、赤字が膨らんで操業停止という危機を迎えたのでございました。

そこで調査を行った結果、石炭を高温で蒸し上げて精製するコークスが必要であることが判明したので、八幡製鐵所はコークス炉を新たに建設し、原料の選別方法も従来より精査して行うようになりました。

そして二度目の高炉への火入れが行われ、ついに本格的に生産が始まる!……と思いきや、なんと今度は再稼働から僅か17時間後に再び操業停止となってしまったのです!😱💦

最早現状の製鐵所内の職員だけでは対処出来ないことを悟り、八幡製鐵所より以前から本格的な鉄鋼生産を行っていた釜石鉱山田中製鉄所より、顧問であった野呂景義さんに調査を行って貰ったところ、高炉内の温度を長時間高温に保つことができていないということが発覚したのです。

そこで高炉に改修が施され、3度目の火入れが行われたのが1904年(明治37年)の7月のことでございました。

高炉の改修は無事成功し、ようやく東田第一高炉から大量の銑鉄を精製することができるようになったのです!🎊

こうして翌年には東田に第二高炉も建設され、官営八幡製鐵所は日本初の銑鋼一貫の製鉄所として、世界と渡り合うことのできる一大鉄鋼産業を生み出したのでございます。

以上が東田第一高炉が本格稼働するまでの歴史でございました!

日本の一大鉄工所も、創業期には挫折を味わい、その度に多くの人々の協力を得て試行錯誤がされてきたんですねぇ〜……😌

前回に引き続き長文となってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!🙇💦

撮影地

撮影機材

Camera: OM-5【OM SYSTEM】

Lens: LEICA DG SUMMILUX 9mm F1.7 ASPH. H-X09【Panasonic】

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