大刀洗平和記念館に展示されています零式艦上戦闘機三二型の前には、写真にもあります通り大きな窓がありまして、三二型をずっと後ろから眺めていると、なんだかあの窓が開いて、今にも三二型が外へ飛び出していくんじゃないかと、そんな私の想像を元に撮った写真がこちらになります!(笑)😅
しかしこんな立派な戦闘機でありながら、生産期間はわずか半年しかなかった三二型。
その短命となってしまった原因は、三二型のある弱点と、その弱点が時世が求める物と相反してしまったことが原因でございました。
零式艦上戦闘機三二型は、真珠湾攻撃を成功させ、その性能で連合国軍を震撼し、旧日本軍の快進撃と共に様々な零戦の伝説を打ち立てたとされる名機、零式艦上戦闘機二一型を改修し、更なる性能向上を目的として作製が立案されました。
変更点と致しましてはまず、エンジンは従来の栄一二型から更なる改良が施された栄二一型へと移行し、更に翼と機体の面積を共に縮小させました。
エンジンが改良されたことによって、従来の零戦よりも高高度を飛ぶことができ、そして翼や機体の面積を小さくしたことによって、空気抵抗が抑えられ、速度と機動力の上昇が見込まれました。
また武装も若干改良されておりまして、機銃は従来の九九式一号20mm機銃を翼内に2挺と、九七式7.7mm機銃を機首に2挺装備しているのですが、その内九九式一号20mm機銃の携行弾数が最大60発から100発に増加いたしました。
以上の変更点を踏まえて三二型はついに量産体制に入ったのですが、しかしいざ現場に配備されると、三二型からは様々な問題が浮上してきたのでした。
まず第一に新たなエンジンですが、配備初期は度々トラブルを起こして問題となっておりましたが、こちらは徐々に改善されていったようです。
それよりも問題だったのが機体の面積を小さくしたことでありまして、具体的に言いますと、機体の面積を小さくする上で、燃料タンクを縮小したことにより、航続距離と航続時間が従来機よりも減少してしまって、これが三二型の致命傷となってしまったのです。
三二型が配備される時期に丁度起こったのがガナルカナル島の戦いでありまして、この間ソロモン海やガナルカナル島上空での航空戦が激しくなり、旧日本軍は航空機を片道約1000kmもあるラバウルから発進させ、戦地で航空戦を行い、それをまたラバウルに戻して往復させていたため、航続距離が短い三二型にとってはかなり不利な戦況だったのでございます。
結局航続距離の長い戦闘機が現場からは求められるようになってしまい、新たに二二型の開発、配備が促進されていき、三二型の生産は僅か半年で打ち切られることとなってしまったのでした……
以上が三二型の特徴と、生産の歴史でございました!✈️
ちなみに既に配備されていた三二型は引き続き現場で使用され、その後にラバウルよりも半分の距離にあるブーゲンビル島のブインに新たに航空基地が作られると、弱点であった航続距離の問題が解消され、他の戦闘機と同様に作戦を行えるようになり、自慢の機動力を存分に発揮することができたそうです😆
性能が高い物を作るのはモチロン立派なことですが、しかしそれよりも、その時の利用者のニーズに合わせた物を作ることが重要なのは、古今東西変わらないようですね😅
撮影地
使用機材
Camera: OM-5【OM SYSTEM】
Lens: LEICA DG SUMMILUX 9mm F1.7 ASPH. H-X09【Panasonic】
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