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PhotoBlog:39 全国総本宮水天宮

Photo No.39 全国総本宮水天宮/撮影地 福岡県 久留米市 瀬下町

ここまで様々な施設を撮影しつつ、広い庭園を抜けた先にありましたのが、水天宮総本宮の本殿でございました!⛩️

いやぁ~……流石は全国津々浦々にある水天宮の総本山であるだけあって、かなり立派な社殿でございました!😆✨

水天宮のルーツは平安時代末期、1185年(寿永4年)に起こった源平の戦いの最終決戦、壇ノ浦の戦いにまで遡ります。

壇ノ浦の戦いにて、勝利したのは源義経、源範頼率いる源氏軍であり、敗れた平氏の面々は次々に関門海峡の海の中へと身を投げ、まだ幼かった安徳天皇も、安徳天皇の母に仕えていた女官、按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)と共に入水しました。

しかしその後、按察使局伊勢は海から引き揚げられ、源氏に捕虜として生け捕りにされてしまいました。

その後解放された按察使局伊勢は九州を下って行き、千歳川(現在の筑後川)のほとりにある鷺野ヶ原へと移り住みました。

そこで按察使局伊勢は安徳天皇と平家一門を弔いましたが、後に剃髪を行いまして、名を千代と改めると、千代は周辺の村人に加持祈祷などを行い、慕われるようになっていきまして、その親しみから千代は尼御前と呼ばれるようになりました。

その頃には天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(平徳子)、二位の尼(平時子)を御祭神とした社を構えるようになりまして、彼女の通り名からその社は尼御前神社と呼ばれるようになりまして、これが後の水天宮となったのでございます。

そして晩年、千代は平知盛の孫であった平右忠を肥後国から迎えて養子にすると、水天宮の後継とし、現在に至るまでその子孫が宮司を行い、千代は水天宮の境内神社にあります、千代松神社に祀られました。

以上が水天宮総本宮の由来となる歴史でございました。

ちなみに安徳天皇や平家一門を祀る神社としては、山口県下関市にあります赤間神宮も有名ですよね😌

源平にまつわる史跡や神社は他にもいろいろありますので、今後も回っていきたいですね!😆✨

それでは今回はこの辺で。
長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!

撮影地

使用機材

Camera: OM-5【OM SYSTEM】

Lens: LEICA DG SUMMILUX 9mm F1.7 ASPH. H-X09【Panasonic】

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