大和ミュージアムにて、10分の1戦艦大和の姿を撮影し、呉の歴史展示室で軍港都市呉の成り立ちや、潜水調査によって引き揚げられた戦艦大和の艤装や遺留品といった貴重な資料をじっくりと見て回った後、次に向かったのは同じく一階にあります、大型資料展示室でございました!🚶💨
この大型資料展示室には、戦艦大和や戦艦陸奥が使用していた主砲弾、九三式魚雷や二式魚雷、そして特攻に使用された兵器である回天や特殊潜航艇海龍など、様々な資料が展示されておりましたが、その中で今回ピックアップして撮影させて頂いたのが、こちらの零式艦上戦闘機六二型でございました!😆✨️
こちらの零式艦上戦闘機六二型(以降「六二型」と省略)は模型ではなく、本物の機体を修復、復元させたものでございまして、1978年(昭和53年)、琵琶湖の湖中に沈んでいた機体を引き揚げ、復元されました。
この六二型は通称爆撃戦闘機と呼ばれておりまして、空中戦を行う戦闘機として運用するというよりかは、戦闘機の機動力を活かした急降下爆撃を行う、爆撃機として運用されることが多く、胴体下には爆弾を吊り下げる機構が備わっておりまして、通常爆撃時には250㎏爆弾が使用されておりましたが、戦争末期には特攻機としての運用もされ始め、特攻機には通常時の倍の500kg爆弾が搭載されておりました。
当機はアジア・太平洋戦争の末期である1945年(昭和20年)八月、試験航行のために現在の愛知県安城市にありました明治航空基地から飛び立ち、琵琶湖にて機銃発射の確認をしていたのですが、その最中に突如エンジンが停止し、操作不能となった当機はそのまま琵琶湖に墜落してしまいました。
幸いパイロットは脱出し、一命を取り留めましたが、機体はそのまま琵琶湖に沈みまして、以後引き揚げが行われるまでの33年間を湖底で過ごしたため、引き揚げられる際には泥に覆われ、機体の至る所に藻が絡んでいたそうです。
琵琶湖から引き揚げられた後も権利者の都合により、各地を転々とすることになった六二型でしたが、最終的に呉市が買い取ることになりまして、そこで展示に向けて大規模な修復作業が行われ、腐食していた骨格を強化し、欠損していた部品や部位は、かつての設計図や零戦の元技術者や整備兵だった方の意見を参考にし、可能な限り再現され、今後は兵器としてではなく歴史の証人として、新たな道を歩んでおります😌
今回の写真の写真集掲載先はこちら(写真を拡大して見ることができます)

撮影地
撮影機材
Camera: OM-5【OM SYSTEM】
Lens: M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6 II【OM SYSTEM】


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