PhotoBlog:339 大和の塔と徹甲弾

Photo No.339 大和の塔と徹甲弾/撮影地 広島県 呉市 宮原

歴史の見える丘の住宅地側の小さな広場には、噫戦艦大和之塔と呼ばれる大きな石塔と、その両側にはこれまた大きな砲弾が二本並んでおり、塔の前にはお酒や水などの供物が並んでおりました🪦

両脇に並ぶ砲弾は徹甲弾と言われる、艦艇の装甲を破ることに特化した砲弾でありまして、左右の砲弾はそれぞれ搭載されていた艦艇が異なり、正面から左側が戦艦長門の徹甲弾でありまして、右側が戦艦大和の徹甲弾となっております。

この噫戦艦大和之塔は、1969年(昭和44年)8月8日、戦艦大和の三十回目の進水記念日を期に建てられたものだと考えられ、戦艦大和とその乗員の悲壮な最期を偲んで慰めると共に、その栄誉を顕影するために建てられた塔であると、塔の正面にあった石板には刻まれておりました。

この呉の地で誕生した戦艦大和でしたが、その最期を迎えたのは鹿児島県の坊ノ岬沖でございまして、沖縄本土に上陸した連合国軍を撃退する海上特攻隊として、第二艦隊と第二水雷戦隊を引き連れて沖縄海域を目指していた大和でしたが、しかし連合国軍は日本軍の暗号電報を傍受し、大和が沖縄へ向かうことを既に知っていたため、空母部隊を配備して迎撃態勢を取り、大和ら第二艦隊と坊ノ岬沖海上にて、相まみえることとなったのでございます。

大和率いる第一遊撃部隊の戦力が戦艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻に対し、連合国軍の戦力は空母7隻、軽空母5隻、戦艦6隻、大型巡洋艦2隻、軽巡洋艦9隻、駆逐艦多数と、その戦力差はぶつかる前から圧倒的でございまして、制空権を即座に抑えた連合国軍は、航空機377機を出動させて第一遊撃部隊を攻撃し、大和を始めとする計6隻の艦艇が沈没。戦死者の数は4044名にのぼりました。

連合国軍にもある程度被害が及びましたが、航空機13機ほどの損失と52機の被弾といった結果となり、この坊ノ岬沖海戦は連合国軍の圧勝という形で幕を閉じたのでございます。

今回の写真の写真集掲載先はこちら(写真を拡大して見ることができます)

撮影地

撮影機材

Camera: OM-5【OM SYSTEM】

Lens: LEICA DG SUMMILUX 9mm F1.7 ASPH. H-X09【Panasonic】

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